【インタビュー】夢へと続く道―香川が生んだ少年。糸川光希選手がNCAA Division I・イーストテネシー州立大へ
香川ファイブアローズのアカデミーで育った糸川光希(いとかわ こうき)選手が、5月15日、米NCAA Division Iのイーストテネシー州立大学(ETSU)へのコミット(進学合意)を果たした。172cm、74kg。ポジション、ポイントガード。決して恵まれたサイズではない。それでも彼は大洋を越えて夢を追い続ける。 (写真:糸川選手提供)
ーまずはイーストテネシー州立大のコミットおめでとうございます。
(糸川)ありがとうございます。まずは3年間、アメリカの高校へ行く。それが最初の目標でした。そして最後にコミットを勝ち取ることができて本当に嬉しいですし、夢であるNBAに向けて、その最初の一歩に近づけたかなと感じています。
ーバスケットボール選手としては、イーストテネシー州立大で初の日本人選手になると思います。見事にコミットを勝ち取れた要因や、ご自身でアピールできたところと思う部分はどこにありますか?
(糸川)成功できた要因……そうですね。本当に毎日、毎日、D1のことだけ考えて練習してきました。運もあったと思います。本当にバスケの神様が微笑んでくれたんかな、と。現地でのコーチとのコネクションも大きかったです。それらが重なったことが、自分がコミットできた要因だと思っています。
ーNBAに行きたいと強く思い始めたのは、いつ頃だったんでしょうか。
(糸川)小学6年生ぐらいですかね。6年生の時から、「アメリカに行きたい」とずっと思っていました。小学校の卒業文集にも「アメリカでバスケがしたい」と書いていて。やっぱり、その頃から将来はNBAに行きたいという思いがありました。
ーちなみに、バスケットボールは何歳から始められたのですか?
(糸川)小学4年生の冬、10歳の時です。木太クリッパージュニアのミニバスからスタートし、その後は香川ファイブアローズのアカデミーに通うようになりました。
ー香川のユース(U15)時代の思い出といえば何が思い浮かびますか?
(糸川)僕が中学3年生になった時、アローズのU15が本格的にクラブチームとして活動するようになりました。僕はその1期生で、キャプテンをやらせてもらいました。右も左もわからない中で、チーム一丸となって戦った毎日の練習が、本当にいい思い出でした。
ーやはり、厳しい練習だったのでしょうか。
(糸川)厳しいですね、きつい練習ですし、チームメイト達も「上手くなりたい」という気持ちが本当に強かったので。当時の同期は尽誠学園へ進んだり、僕もアメリカを目指したりっていうので、競争もそうですし、練習の強度も高かったと思います。喜多コーチ、菊池コーチという素晴らしい指導者に恵まれて、充実した毎日でした。
―当時教わったことで、今のご自身の糧になっているという実感はありますか?
(糸川)すごくあります。お二人の言葉には何度も助けられました。実は一度、本当にバスケを辞めようかなと悩んだ時期があったんです。その時に喜多コーチから、とても良い言葉をいただきました。
―どのような言葉だったのか、今でも覚えていますか?
(糸川)鮮明に覚えています。苦しかった時、ずっとその言葉をお守りにしていました。喜多コーチから「どれだけ努力したかではなく、どれだけ自分を信じて努力したかで結果は決まる。光希はバスケットの神様に好かれているから大丈夫!」というメッセージをいただいたんです。その言葉が、今も僕の支えになっています。
ー高校、日本の高校ではなく、アメリカのコンバイン・アカデミー(Combine Academy)を選んだ理由はどこにあったのでしょうか。
(糸川)選んだ一番の理由は、純粋にアメリカに行きたいという好奇心です。「自分がやりたいことをやっていいよ」と、両親が背中を押してくれました。渡米前にアメリカの高校のハイライトや試合映像を見ていたんですが、同じ年齢じゃないというか、同じ世代とは思えないプレーをしていて。それが恐怖じゃなくて、純粋に楽しみになったんです。本当に「こういう選手たちと一緒にプレーしたい、そこで活躍したい」という思いが一番の原動力でした。
―最初にアメリカへ渡った時、すぐに手応えは感じられましたか?
(糸川)いやもう、最初はもう全然できませんでした。最初の1か月、そして1年目は本当に辛かったです。言語も違いますし、自分の言いたいことが上手く伝わらなくて、本当に大変でした。自分が勘違いしてたっていうか。できる自信はあったんですけど、やっぱり行ってみたら、現実を見させられて。自分の頭の中の、この思い描いてたイメージとのギャップがありすぎて。もうそこで一回、心折れかけたことあったんですけど。それでも、やっぱり、「NBAに行きたい」「D1でプレーしたい」というモチベーションが常に僕を突き動かしていました。
―「いけるぞ」というポジティブな感覚に変わってきたのはいつ頃ですか?
(糸川)2年目ですね。1年向こうで過ごしてみて、レベルや強度の高さがわかったので、夏に日本へ帰った時にもしっかり練習して、必要なことを逆算しながら準備していきました。プレータイムも増えて、そこから手応えを感じ始めました。
―スカウトや大学のコーチの目に留まるようになったのは、3年生になってからですか?
(糸川)そうですね。3年生の本当に最後の最後です。いろんな大学のコーチが学校に来て、練習を見に来てくれました。高校のコーチとの関係性も良かったですし、英語もしゃべれるようになっていたので、コーチには「僕は絶対にD1に行きたい」と常にアピールし続けました。その姿勢を見せ続けたこと、そしてコーチが繋いでくれたコネクションなど、色々な要素が重なりました。それでも、本当に最後の最後までどうなるか分からない状況だったんです。学校の卒業式が5月16日だったのですが、イーストテネシー州立大学への進学が決まったのは、その前日の5月15日でした。本当にギリギリまで決まらなかった。けれど、ずっとコーチに行きたいと言い続け、自分が今やるべきことに毎日全力で取り組んできた。だからこそ、最後にバスケの神様が本当に振り向いてくれたんだなと思っています。
ー本当におめでとうございます。今、目標とするような選手はいますか?
(糸川)まず、アイザイア・トーマス選手。175センチほどの身長でボストン・セルティックスで活躍した選手で、まさに自分の目標です。もう一人は河村勇輝選手。低身長の日本人ポイントガードとしてNBAで挑んでいる姿は、本当にモチベーションであり、希望です。この2人が目標とする選手ですね。
ー香川ファイブアローズで好きな選手、目標とするような選手はいましたか?
(糸川)僕がU15に在籍していた当時、トップチームの試合はよく見ていたので、選手の皆さんは憧れの存在でした。中でも伊集貴也選手には練習を見てもらう機会があり、直接アドバイスもいただきました。今でも師匠のような存在です。兒玉貴通選手は低身長ながら、コートの中では技術面で一人抜けていて、本当に上手い選手でした。心から憧れていました。そして当時のエース、テレンス・ウッドベリー選手も、もちろん目標であり憧れの選手です。
ー今後の目標について聞かせてください。
(糸川)まずは1年目からプレータイムをもらうこと。D1は本当にレベルが高いので、高校1年目の時の様な苦しい時期がまたやってくると思います。それをしっかり準備して乗り越えて、2年目からは1年目のスタッツを超えていけたら。目の前の目標を1歩1歩クリアしていきたいです。最終的には本当にNBAに行けるように頑張りたいと思っています。
【糸川光希 選手 プロフィール】
糸川光希(いとかわ こうき)
生年月日2006年生まれ、19歳
香川県高松市出身
172cm/74kg ポジション:ポイントガード(PG)
経歴
木太クリッパージュニア
桜町中学校/香川ファイブアローズU15・U18
Combine Academy(米ノースカロライナ州)
受賞歴
チームMVP(Combine Academy、2025年)
ファーストチーム・オールカンファレンス(リーグトップ5選出、2025年)
【イーストテネシー州立大学(ETSU)】
NCAA Division Iのサザン・カンファレンス(Southern Conference)に所属する強豪校。かつて小柄なポイントガードの名手として名を馳せたキース・ジェニングス(元ゴールデンステイト・ウォリアーズ)らを輩出した歴史を持つ。現在B.LEAGUEの横浜エクセレンスでプレーするトレイ・ボイドIII選手も同校の出身。
【NCAA Division I 】
NCAA Division Iは、全米約360校が所属するアメリカ大学バスケットボールの最高峰カテゴリー。高校男子バスケットボール選手がD1に到達できる確率は約1%とも言われ、日本人選手にとってはさらに高いハードルとなる。糸川選手は香川県出身の選手として、渡邊雄太選手に次ぐ快挙となる。
